【一日目】(団体ツアー行動)
昼過ぎ、上海着
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レストランで昼食
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市内観光(豫園)
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お茶会
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レストランで晩餐
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黄山観光のため、空路で屯渓へ
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夜、屯渓のホテルで宿泊
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僕は実際、おどおどして中国に入ったのだった。
そもそも今回の中国旅行は、会社の社員旅行であった。うちの会社は従業員八人の零細企業である。そのうち二人は女性だ。出発前、親には相当、反対されたらしい。当然だ。テレビでは留学生が殴られたことが伝えられ(しかし一体彼は何をしたんだろう・・・)、僕らが中国に滞在する間も、反日デモが各地で行われることが、ネット上で予告されていた。それでも、ずっとフリーの旅行ではなかったし、大部分はツアーを組んだ団体行動だったので、なんとか説得をしたらしい。最終日を除いて、大概は、中国人のガイドさんがついていた。
それでも安全が保証されるわけではないし、日本にいるよりは危険度は増す、そう感じていた。これから、日本人だ、というだけで暴力を振るうアホな集団がいる可能性のある場所に行くのだ。そこでは、意見は関係ない。
無論、デモも一種のフィーバーであり、実際に中国全土が反日デモをしているわけではないし、上で書いた「日本人だというだけで暴力を振るう集団」も、本当に極々一部だろうし、下手な行動をしなければ大丈夫ということは十分に分かっていた。それでも、彼/彼女に道で出会わないこともないわけではないし、デモがあるかもしれないし、十分気を引き締めていた。
つもりだった。
僕は出発五分前にたたき起こされた。
目覚ましも、気が付かずに止めていた。
のんびりしたものである。
服がーっとか、靴下がーっとかワーワー言いながら、寝ぼけ眼で出発、駅に向かった。
ココから先はよくある話しなのでワープ。
空港に着いて、僕たちは、創業以来初の社員旅行ということもあり浮かれつつも、どことなく、少しだけいつもと違うシコリを感じる雰囲気で、上海便の出発を待った(ただしそのシコリが反日デモのためかどうかは分からない)。
機内でも、そのシコリは解けなかった。
僕はだから、アホみたいなことばかり言っていた気がする。
ここで今回の旅の目的を書いておこう。
■大自然に触れる
社員のみんなで旅行のプランを立てているときに、僕が、「大自然が見たいんだよ、大自然が」とダダをこねた。そのプランは、二日目と三日目の黄山観光に反映された。
■大都会を感じる
だから上海になった。
■ペルオが行く in 中国
僕らの会社はペルペトゥームレコーズとして音楽事業を手がけていて、そのキャラクターでペルオくんというなんとも愛らしいヤツがいる。レーベルのHPで、「ペルオが行く」コーナーを作ろうと思い、その発足記念第一弾として、中国とペルオを色々な形で写真に収めたかった。
ペルペトゥームレコーズ
(上部写真一番右に写ってるのがペルオ)
浦東国際空港に降り立つと、思ったよりも蒸し暑かった。
これが大陸の匂いか、と大きく息を吸った。
入国審査を受け、空港出口へ向かい、上海ガイド役の李さんと合流、これから昼食だ。専用バスでレストランまで連れて行ってくれるという。専用バスに向かう途中、僕たちを出迎えてくれたのは、日本料理レストランがまもなくオープンするという広告だった(いや、正確には、まもげくォプンだ)。
日本料理レストランの広告
バスの中で李さんは、当然、上海の反日デモについて触れた。
しかし、僕が思っていたよりもずっとライトな触れ方だった。
あんまり逆なでするような、目立った行動をしないで下さいね、程度のことだ。
ガイドとして当然、安心させようという心遣いもあったと思うが、僕には本当にライトに聴こえた。まあ、東京で言えば、渋谷のセンター街であんまり目立った行動しないでくださいね、くらいなものである(いやセンター街で目立った行動したら危ないのかどうかは知らないが)。僕は、「実際どうなの?大丈夫なの?」と聴いてみた。彼は「大丈夫です」と大きな声で応えた。
李さんは、25歳の独身男性で、日本の事情や歴史に詳しく、また日本語もひじょうに堪能だ。かといって日本に滞在したことがあるかと聴くと、ないというので驚いた。大学での勉強だけだそうである(まあ後で、日本人の彼女と付き合ってたんだ、と恥ずかしそうに告白してくれたけど)。
彼は僕たちに、反日デモで日本人観光客が激減していることを、正直に、嘆いていた。日本人が来なければ仕事がなくなるから、当然である。そして、「こんなときに来るなんて、あなたたちは英雄です」とオベッカを使った。いや、後で大してオベッカでないことが分かるのだが(いつもに比べ、本当に日本人は少なかったのだ)、そのときはオベッカだと思った。
まあとにかく、バスの窓から見えるものすべてが新鮮で、僕たちはいちいちぎゃーぎゃー言いながら、レストランへと向かった。
とにかくでかい。なにがなんなんだか。
昼食。四川料理 in 上海
辛くて汗が吹き出る散詩人吉岡史樹
腹いっぱい初の四川料理を食べて僕らはまたバスに乗り込んだ。これから
豫園に向かうのだ。
それにしても上海の交通事情というか車は危ない。いや、結局のところむしろ安全であるのだが、それがわかっても、日本人から見れば相当危ない。大阪の交通マナーなどヨチヨチ歩きの赤ちゃんである(そういえば上海はどことなく大阪の梅田に似ていた)。途中、乗っているバスが警察に止められる。なぜか僕らがドキドキである。
切符を切られる無口な運転手
なんでも車線変更がよくなかったらしく、罰金をのちほど自腹で警察の口座に振り込まねば為らないらしい。その額日本円で3,000円である。ちなみに煙草は一箱安いもので6円くらいである。
いかした建物(上海は建物天国だった。それにしてもこの路地に入りたい・・・)
まあそんなこんなして、豫園に向かう。豫園というのは、16世紀に建設された庭園である。どうやら、街中に大自然の表象を、というコンセプトで造られたものであるらしい。
豫園を写生をする女性
何しろ驚いたのは、岩と岩がくっついているわけだが、それをくっつけているものは、もち米だということ。なにが凄いって、もち米にそれだけの粘着力があることを発見したひとが凄いわ。
もち米でくっつく岩たち
豫園の周りは完全な観光地化していて(浅草の浅草寺のような感じだ)、僕としてはそういうものより、路地裏や中国人たちが生活している場所や街を見たかったわけだが、団体ツアー行動なので勝手な行動をとることは許されず、そこは、最終日の終日自由行動で、という思いだった。
しかしもちろん、観光地というのはそれだけでも大層面白いもので、豫園の周りの建物や人々の活気というか声のでかさに驚きつつ感動し、店が立ち並んだ雑踏を歩いた。
豫園の周り
実は、この豫園の南にある上海老街に、上海にいる三日間、僕は必ず来ることになる。
お茶を飲みに行って(ツアーにセットの営業お茶会)、それほど腹も減っていないのに夕食を取り、今夜は
屯渓のホテルに泊まるのだ。屯渓までは、上海から飛行機で一時間半くらい。日本から上海もそれくらいだから同じような距離である(と思う)。明日の黄山観光のため、一時大都会を離れ、ちょっと田舎に行くのである。
上海ガイドの李さんとは空港で別れて、屯渓で黄山のガイド、徐さんと会う。
彼はバスの中、反日デモに関しては一言も語らなかった。
明日は黄山観光である。
黄山では相当歩くらしい。
ならば今日は早くねて、朝早く起きて、ホテルの外へ出て散歩しよう、と思いきゅっと飲んで寝ることにした。
きゅっと飲んでる姿
ビールはなんだかえらく薄かった。
米も入っているようだ。
酒っぽかった。
きゅっと飲んで寝た。
すでに出発前のおどおどは、まるでなくなっていた。
(続く)
「
違いを肯定しろ。
否定をするならば、まずもって己自身を否定をしろ。
それは己の不甲斐なさの全面肯定につながる。
即ち、自己肯定の究極である。
」